弥生時代の建物の種類と構造
弥生時代、米づくりにともない、人々は定住を始め、竪穴住居に住み、収穫したお米を高床式建物に保管していた・・・と言われています。
野洲川下流域でも各地と同様に、これらの建物の柱穴が見つかっています。そうして、時代と共に建物も大型化していき、独立棟持柱建物や総柱の大型建物が現れます。中国・朝鮮の影響を受けて壁立建物も作られるようになります。
野洲川下流域でも各地と同様に、これらの建物の柱穴が見つかっています。そうして、時代と共に建物も大型化していき、独立棟持柱建物や総柱の大型建物が現れます。中国・朝鮮の影響を受けて壁立建物も作られるようになります。
建物の種類
この時代によく見られる建物をしめします。
弥生時代に見られる建物の種類 (イラスト:中井純子、田口一宏)
床の位置(高さ)で
・竪穴建物:縦方向に掘った穴の底が床となる(半地下式)
・平地式建物:地面の高さが床になる
・高床式建物:床を地上より上に設ける
建物の構造と部材の呼び方
掘立柱建物の構造を示します。
梁(はり)、桁(けた)、棟木(むなぎ)などよく出てくる言葉なので覚えておいてください。
この図では、柱は地面に穴を掘って埋めているので「掘立柱」と呼びます。
(古代になると柱を礎石の上に置く形式が出てきます)。
今回、竪穴建物は対象としていませんが、構造を示しておきます。
掘立柱建物の構造 |
竪穴建物の構造 |
代表的な建物の構造と部材(イラスト:同類の図より再制作) |
しかし、考古学の世界では左の建物を「掘立柱建物」、右の建物を「竪穴建物」と呼ぶので注意してください。
柱と建物の形
【棟木を支える方法による分類】
掘立柱建物で、棟木を支える方法によって、種類が分かれます。・独立棟持柱建物:建物から離れたところに棟持柱をたてるもの
・近接棟持柱建物:建物の梁の真下近くに棟持柱を立てるもの
・屋内棟持柱建物:建物の内部に棟持柱を立てるもの
棟持柱建物の種類 (イラスト:田口一宏)
【柱の設け方による分類】
柱の設け方で種類が分かれます。・総柱建物:上の図では建物の外周だけに柱がありますが全ての位置に柱を設けるもの
・梁間一間建物:梁行は1間で桁柱の多い建物
・平地式建物:多数の細い柱と壁で建屋を構成するもの
柱構造による分類(イラスト:田口一宏)
建物の形状はどのように決めるか
発掘したときに建物がそっくり出てくることはなく、分かるのは竪穴の有無と柱穴の存在です。その上にどんな建物が建っていたのかは判りません。
土器に描かれた建物の絵や銅鐸や鏡(家屋文鏡)に刻まれた建物の図、古墳時代の家形埴輪などから当時の建物の外観を復元しているのです。また、建物を構成していた材木が出土することがあり、復元想像をリアルなものに仕上げることができています。
発掘調査報告書には、柱穴と建屋平面図を描きこんであるので、どのような建物があったのか推定できます。
柱穴と建物の表記(イラスト:田口一宏)
柱穴から建物の平面図を描くとき、一般的なやり方を示します。
建物の図aは発掘された柱穴の状況で、平面図としては図b、図cのように壁に相当する線を書き込みます。
棟持柱建物の場合には、図d〜図fのように棟持柱の間に線を書き込みます。
総柱建物の場合には、図gのように柱間に線を入れます。
建物跡が全て発掘されない場合もあり、この時は図hのように推測した部分を点線で書き込みます。
(例)建物復元のサンプル
8個の柱穴が出てきました ⇒ 復元想像は 上がりかまちのある掘立柱建物
柱穴からの建物復元(イラスト:田口一宏)
柱の太さや長さの推定
柱穴の位置と個数から建物の形状を推定した後、柱の太さが建屋外観の重要な情報となります。
細い柱のきゃしゃな建物なのか、太い柱の荘厳で見栄えのする建物なのか?
難しいのは柱の長さ、すなわち建物の高さです。
【柱の太さ】
まれに柱の根元が残っていることもありますが、引き抜かれたり朽ち果てて残らないことが多いです。後世に見つかる柱穴はどのような状態なのか、柱を立てる作業、建物を解体し柱を引く抜く作業をみればわかります。
柱穴跡から柱の太さを推定する方法 (イラスト:中井純子)
柱を抜いた跡にはどこかから土を持ってきて埋め戻します。
元々の自然の土(地山)と柱の周りに埋めた土、柱を抜いた
跡に埋めた土には違いがあるため、後世に発掘したときに土質や色の違いが生じます。
ここから建造時の柱の太さを推定します。
【柱の長さ】
(イラスト:田口一宏) |
・長い柱の固定には、柱穴を深く掘る
・柱が沈み込まないよう小石など底に入れる
・長い柱を立てる工夫として斜路を掘る
・布堀と言って深い溝を掘って、そこに柱穴を掘る
残された柱穴の様子から「長い柱であった」という
程度の推測をします。
後で紹介しますが、滋賀県の伊勢遺跡や下鈎遺跡ではこのような
斜路が使われていました。
斜路を用いた柱の建立作業のイメージ (イラスト:中井純子)