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前章で、全国の大型建物の概観を行い、近江の大型建物の概要を記していますが、もう少し詳しく近江の大型建物の様子を見てみます。
 近江の大型建物の概要
遺跡のあるところ
近江の大型建物の所在地
「大型建物」が発見された遺跡を地図に示します。
発見された建物の棟数や規模とは関係なく、建物が見つかった遺跡の所在を示しています。
は弥生時代〜古墳時代初頭(庄内期)に見つかった遺跡
は古墳時代前期〜後期に建物が見つかった遺跡
 (古墳時代に現れる豪族居館は入っていない) 


左図:近江の大型建物の所在地
   (作成:田口一宏)

見つかった遺跡の概要
下表に遺跡名と見つかった大型建物の概要、棟数を示しています。
個々の建物の詳細なデータは基礎データの通りです。
「全国の大型建物の概観」のところでも分かるように、近江は独立棟持柱建物が見つかる遺跡が多い地域です。遺跡数は多いのですが、大型の独立棟持柱建物が見つかるのは、下之郷遺跡、伊勢遺跡、下鈎遺跡の3遺跡で、後はほとんどが小型の建物ばかりです。
小さくても「独立棟持柱付きの建物」を建設するのは、明確な機能目的があるからだと考えます。

遺跡名所在地時期独立棟持柱建物  大型・特殊建物
針江川北遺跡高島市弥生後期〜古墳前期前中型 2棟 20u程度
大塚遺跡長浜市弥生後期〜古墳前期中型 1棟 22u
黒田遺跡米原市古墳初頭(庄内期)中型 1棟 22u
稲部遺跡彦根市古墳初頭(庄内期)小型 2棟 10u程度
垣見北遺跡東近江市古墳前期中型 1棟 22u
下之郷遺跡守山市 弥生中期大型2棟(建替え)
 40、55u
梁行一間掘立柱11棟(建替えもカウント)
【共用と考えらえる建替えのある建物】
円形壁立建物 7棟
伊勢遺跡守山市 弥生後期末小型 1棟 11u
大型 6棟 40〜53u
総柱建物 1棟
梁行一間近接棟持柱 3棟
2重構造高層建物 1棟
屋内棟持柱付超大型壁立式竪穴
下長遺跡守山市弥生後期〜古墳初頭中型 2棟 20、36u
横江遺跡守山市古墳前期〜後期小型近接棟持柱建物 2棟 14u程度
下鈎遺跡栗東市弥生後期大型 2棟 40、48u  大型・特殊建物
十里遺跡栗東市時期小型近接棟持柱 1棟 25u
中兵庫遺跡草津市弥生後期小型 1棟 15u

注記:
1.下之郷遺跡の掘立柱建物は全てが大型と言ってもよく、もっと多数の建物があります。
 それらが祭祀・公共用なのか単に大きい倉庫なのか? 判別がつきません。
 祭殿と考えられる独立棟持柱建物の周辺に方位を合わせて立つ建物で、かつ建替えられて
 いるもの(長期使用)を祭祀関連としてリストアップしています。 
2.下之郷遺跡には、他の遺跡ではあまり見かけない円形壁立建物を入れています。
 (大型のみをカウント、小型はもっとある) 後の章で詳細を述べます。
3.伊勢遺跡には、超大型竪穴建物を入れています。
 この建物は屋内棟持柱をもつ方形竪穴建物としては国内最大で、先端の建築技術が
 用いられており、後の章で詳細を述べます。
時期別平面図
時期別の独立棟持柱建物平面図を示します。
比較のため、他地域で最大クラスの独立棟持柱建物の図を下段に示します。
近江の独立棟持柱建物の平面図

図から分かることは;
@弥生後期の伊勢遺跡、下鈎遺跡、下長遺跡の3遺跡に大型の独立棟持柱建物が存在しているが、
 床面積はほぼ 40u前後で形状、面積ともに揃っており、規格性が見られる。
A規格性に関係すると考えられる要素は、この3遺跡が非常に近い位置関係であること、および  存続時期のずれはあるものの重複期間があることで、共通のグランドデザインとしていた?
Aその点、弥生中期の下之郷遺跡の独立棟持柱建物は大きさにばらつきがあり、平面形状が細長く
 なっている。
Bどの地域でも、時代の進展とともに建物が小型化している
C古墳時代初頭になると小型化するのは、「独立棟持柱を付ける」建物形式に意味があり、
 見栄え(大きさ・荘厳さ)を重要視しなくなったためか?

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