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 下長遺跡の大型建物
境川の支流が流れる下長遺跡周辺は、縄文時代から平安時代までの集落跡が同一面で切り合って見つかります。弥生時代後期末から古墳時代早期にかけて最も栄えます。
これまで紹介してきた下之郷遺跡、伊勢遺跡、下鈎遺跡と違って、祭祀域、居住域、墓域、首長居館などがセットとなって見つかっており、拠点集落らしい遺跡です。
ここにも伊勢遺跡の流れを受け継ぐ独立棟持柱建物が、弥生時代後期後半、古墳時代初頭の2期にわたって見つかっています。
下長遺跡はこんな遺跡

【遺跡の概要】

下長遺跡全体図
下長遺跡全体図
(守山市発掘調査報告書より作成)
工業団地建設のために広大な面積を発掘調査され、遺跡の全容がよく分かる遺跡です。
弥生時代後期末に、伊勢遺跡から1.5kmの場所に、拠点集落としては直ぐ近くに造営されました。
北側(図の範囲外)には大きな川が流れており、その支流が遺跡を貫いて流れています。
ここの地形は、自然堤防と北側の大きな川との間の低地になっています。高乾地ではなく、低地に集落を築いたのは、川の利用、すなわち水運の拠点です。
卑弥呼政権の誕生の期に伊勢遺跡は祭祀空間から普通の集落に変わっていきますが、下長遺跡はその後も卑弥呼政権の水運の拠点として機能を強め栄えていました。

【下長遺跡の特徴】

びわ湖水運の一大拠点
下長遺跡の中を川が流れ低地となっていて、下鈎遺跡と同じような地形環境で、びわ湖水運と陸路を結ぶ積換え基地でした。時期的には、川の流れの変化で下鈎遺跡の水運が機能しなくなり、下長遺跡に移ったと考えています。
川に面した祭殿は、これも下鈎遺跡と同じで、水運の無事を願う祭祀をしていたと推定します。 実際、川沿いのあちらこちらから祭祀に使ったと考えられる貴重な遺物が多く出ています。
初期ヤマト王権とのつながりを示す多くの威儀具
古墳時代初頭になっても下長遺跡が栄えるのは、初期ヤマト政権から水運管理基地として重要視されたからでしょう。その根拠としては、権威を示す儀仗、ヤマトとの繋がりを示す刀の柄頭、高貴な人物が使った団扇の柄などが川沿いに見つかっており、初期ヤマト王権と密な関係を持っていたようです。
祭祀のやり方がよく分かる多様な祭祀物
前項で川の祭祀に用いられた威儀具を紹介しましたが、そのほかにもいろいろな品物が使われており、祭祀のやり方が読み取れます。川べりで見つかる祭器は、銅鏡、素文鏡、管玉・小玉・石釧・勾玉などの石製品、円筒埴輪、大和琴、多くの船形形代(かたしろ)などです。
近畿式銅鐸の頭頂の飾り耳を切り取ったものも出ており、上述の威儀具も併せて考えると、非常に次元の高い祭祀を行っていたと言うことになります。
下長遺跡祭祀物
下長遺跡出土の重要な祭祀物 (守山市発掘調査報告書より作成)
川とともに栄え推定していった集落
非常に栄えた集落ですが、川の流れが変わるとともに衰退していきました。 このことは、下長遺跡が水運の拠点であったという証とも言えます。
独立棟持柱建物
弥生時代後期と古墳時代初頭の建物は同じ区域に建てられていました。
ここ区域は居住域とは離れたところにあり、川に面しているのが特徴で祭祀の性格が推定できます。
弥生後期古墳初頭
SB-1
(祭殿)
SB-2
(祭殿)
SB3
(祭殿)
SB-4
(倉庫?)
柱構造3×1間3×2間3×2間3×1間
柱形状丸柱長方形長方形
建物面積38u20u20u13u
大きさ8.8X5.4m7.6x5.1m?×8.8m
独立棟持柱ありあり
心柱なしなし
その他布堀構築テラス付き平地式
下鈎遺跡南祭祀
下長遺跡想像図(守山市発掘調査報告書より作成)

SB-1 祭殿
下長SB1
SB-3 祭殿
下長SB3
SB-4 倉庫?

下長SB4
下長SB1 下長SB3 下長遺跡建物想像図
(CG:小谷正澄)

特徴的なことは;
・伊勢遺跡と同時代のSB-1には心柱がなく、伊勢遺跡が衰退したのちのSB-3には心柱がある
   心柱の神聖性について前で述べましたが、ここでも重要な意味を内在していると考えます
・SB-1は丸柱を使用しているが、SB-3は角柱を用いている
   SB-3の柱の加工跡を見ると鉄器が使用されています
伊勢遺跡との比較

【弥生時代後期の建物(SB-1)】

伊勢遺跡と同時期の建物を比べてみます。
・規模:ほぼ同じ
・平面構造:桁行が3間と少なくなっている(伊勢遺跡:5間)
   その分、桁方向が短く、かつ間隔が広くなっている
   柱穴はほぼ同じなので、伊勢遺跡と同じような太い柱を用いていた模様
・独立棟持柱建物なのに「心柱」がない。これは下鈎遺跡遺跡でも同じです。
   伊勢遺跡の祭殿にしか「心柱」を使えなかった

【古墳時代初頭の建物(SB-3)】

伊勢遺跡の祭祀域が廃絶された後に建てられた祭殿は
・規模:小さくなり面積規模は半分に
・平面構造:桁行3間、梁行2間 と構造が異なる
・古墳初頭の下長遺跡の祭殿には心柱がある
   伊勢遺跡の祭祀域が機能している間には、他の遺跡の祭殿にはなかった「心柱」が、伊勢遺跡の
   祭祀域がなくなった後は、下長遺跡の祭殿に引き継がれたように思えます。

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