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 伊勢遺跡の大型建物
伊勢遺跡は弥生時代後期の大規模集落で、国史跡に指定されています。弥生時代後期の中頃、突如として巨大な祭祀空間が野洲川下流域に現れ、大型の独立棟持柱建物建物が円周上に並び、中央の方形区画にも大型建物が並びます。高層の楼観と推定される建物もありました。
これだけの規模の遺跡なのに出土物がほとんどなく、ここが特殊な空間であったことが判ります。
伊勢遺跡はこんな遺跡

【遺跡の概要】

伊勢遺跡全景
伊勢遺跡全景(復元想像図)
【後ろは三上山(近江富士)】
(CG制作:小谷正澄)
1伊勢遺跡は、滋賀県守山市伊勢町から阿村町、栗東市の一部にかけて発見された弥生時代後期の約30ヘクタールに及ぶ大規模な遺跡で、弥生後期としては国内最大級です。
弥生後期、近畿地方では、中期の巨大環濠集落が解体して、小さな集落に分散するなかで、伊勢遺跡のように巨大化する遺跡は稀です。
さまざまな形式の大型建物が円と方形の組み合わせで計画的に配置されています。 直径約220mの円周上に等間隔に配列された祭殿群、中心部には方形に配列された大型建物がならび、柵によって囲われています。そばには楼観が建っています。
建物の型式・配列から見て、巨大な祭祀空間が存在していたと考えられています。
このような大規模な遺跡であるにも関わらず、大勢の人たちが日常的に生活していたような痕跡が見当たりません。その当時の墓地も見つかっていません。このような事実からも、この場所が特殊な位置づけの遺跡であることが推定されます。
中央部の建物群は、魏志倭人伝に【宮室楼観城柵厳設】と書かれている「卑弥呼の居処」と似た構成となっています。
このような建物群からなる遺跡は、卑弥呼が倭国王となる前段階を知る上で、全国的に見ても非常に貴重であることから、平成24年1月に国史跡に指定されました。

【伊勢遺跡の特徴】

【多数の大型建物群】
伊勢遺跡では床面積が40u程度以上で、太い柱を持つ大型建物が12棟も見つかっています。
弥生時代後期に限ると、近畿地方ではこのような大型建物は、伊勢遺跡と隣接する下鈎遺跡に集中しています。
【さまざまな建築様式】
伊勢遺跡では大きく見て7種類の大型建物が発見されており、それぞれが、特別の機能を持っているようです。
下の図は、柱穴から推測される建物の想像図です。高床式の独立棟持柱建物の他に、平地式(地面の上に直接建てる)の独立棟持柱付き建物も存在したようです。これらの建物は、伊勢神宮の神明造りや出雲の大社作りとよく似た様式のものであり、それらの先駆的な建物として関連性が注目されます。
また、特異な建築様式の大型竪穴建物も見つかっています。
伊勢遺跡祭殿
独立棟持柱建物
伊勢遺跡平地式祭殿
平地式近接棟持柱建物
伊勢遺跡近接棟持柱建物
近接棟持柱建物
伊勢遺跡主殿
総柱建物
伊勢遺跡屋内棟持柱建物
屋内棟持柱建物
伊勢遺跡楼観
総柱建物:楼観
伊勢遺跡大型竪穴建物
大型竪穴建物
(CG制作:小谷正澄)
【他では見られない優れた建築技術】
大型竪穴住居は、一辺約14mという大きさで、屋内に棟持ち柱を持っています。その床はきれいな粘土を叩きしめた後、焼き固めています。このような焼床は他には例がなく、中国や朝鮮に類例が見られ、湿度防止のための工夫と思われます。
しかも、竪穴の四周の壁には焼き固めた古代のレンガが並べてあり、国内で初めてレンガが使われた構造
物です。国内最古の焼レンガです。   いずれも中国に源流を持つ、当時の最先端建築技術です。
【特異な建物配列】
伊勢遺跡建物配列

伊勢遺跡建物配列(建物2倍表示)
出典:守山市誌(考古編)を改変
このような大型建物が、円周と方形の組合せで計画的に配列されており、他所では見られない配列です。
弥生時代の遺跡にすでに方形区画が見られることも特徴で、ここが特異な場所であることが分かります。
右の図は建物配列を示しますが、分かりやすいように建物を2倍サイズで描いています
柵で囲われた方形区画と方形配列の建物
遺跡中心部には、二重の柵の方形区画の内側に大型建物をL字型に配列ししています。
大型掘立柱建物を中心に、3棟の棟持柱をもつ建物が、正方位に合わせて、西側に配列されています。
それに隣接して総柱式で、一辺9mの正方形の大型建物が検出されていますが、楼閣のような施設と見らます。
巨大な集落遺跡の中心部に、柵で方形に区画された中に大型建物を整然と配置していることがわかる遺跡であり、全国的にみても殆ど類例を見ません。
円周上に配列された多数の建物
楼観を中心にして、半径110mほどの円周上に独立棟持柱付き大型建物が6棟、少し外れて1棟が発見 されています。計画的に円周配列したことが判ります。
これらの独立棟持柱付き建物は、床面積は約40uでほぼ等間隔に建っており、伊勢遺跡の存続期間のなかで、計画的に円周上に建設されていったと推測できます。
【日常品がほとんど出土しない】
下之郷遺跡の環濠からは、当時の人々の生活や環境が復元できるような、遺物が多量に出土しています。 しかし、伊勢遺跡からは建物跡はたくさん見付かっているものの、日常用品の遺物はほとんど出土していないのです。生活臭がないのです。周囲に掘られた大溝や区画溝からもほとんど出てきません。伊勢遺跡が廃絶されるときにも、きれいに片づけて清掃したように思えてなりません。この事実は、伊勢遺跡の特殊性を裏付ける大きなヒントです。 ここは祭祀空間であり神聖な場所であったとしたら、ごみなど出てこないでしょう。どうやら、そんな場所であったようです。
円周上に配置された大型独立棟持柱建物
円周配列された建物の配置の全体像を図に示します。
円周配列の建物群
北東部にSB7からSB9、SB12が弧を描いて並んでいます。
北西部にSB4とSB5が並んでいます。直列ではなく弧の一部です。
弧を描いて並んでいるだけではなく、建物の長辺が内側に向いているのが見て取れます。
SB6だけが円の中央に向いていません。
SB4、5、7、8、9、12は独立棟持柱建物で、SB6だけが屋内棟持柱建物となっています。

【円周北東部の建物配列】

これから具体的に建物の位置を見ていきます。先ず、北東部の建物の配列です。
ここにはSB7〜SB12の4棟の独立棟持柱建物が建っています。
SB7〜SB9の3棟は同じ柱構成でほぼ同じ規模の建物となっています。SB12だけが露台付きの建物となっています。このため柱構成、規模は大きくなっていますが、露台を除いた建物自体のサイズは他のものとほとんど同じで、建物のサイズはほぼ統一されていたようです。
円周北東部の建物配列
伊勢遺跡 円周上建物(北東部)  (守山市発掘調査報告書

建物の並び順で眺めると、SB7とSB8の間隔が大きくなっていますが、この間にもう1棟の建物が入るスペースがあるのですが、この場所は幹線道路になっていて発掘調査が出来ていません。

【円周南西部の建物配列】

北西部にはSB4とSB5の2棟の独立棟持柱建物が建っています。
円周南西部の建物配列
伊勢遺跡 円周上建物(南西部)  (守山市発掘調査報告書
建物の柱構成、規模はSB7〜SB9とほとんど同じで、建築スペックの規格化が一層裏付けられます。

【円周への当てはめ】

建物がどのような円周上に乗るのか、当てはめてみると、
正円の場合:
  2つの円を適用しないと建物は円周上に乗りません。
  検討経過は細かくなるので、「補足」に書いています。関心があれば読んで下さい。
楕円の場合:
  測定や資料化、読み取り誤差などを考え、楕円に当てはめると「そこそこうまく」
  円周上に乗ります。
楕円への当てはめ結果
建物群の楕円への当てはめ
楕円形状
 長軸:230m
 短軸:210m



SSB4の長軸の向きが円周の方向とは少しずれていますが、SB6を除いて、大きな少しいびつな円周上、正確には楕円上に乗ります。
長軸230m、短軸210mのほぼ円に近い楕円となります。

【建物跡と残されていた柱根】

建物平面図
建物平面図の例としてSB4とSB12のを示します。
伊勢遺跡SB-4平面図 伊勢遺跡SB-12平面図
伊勢遺跡SB-4とSB-12の平面図 (守山市発掘調査報告書より作成)
SB4の柱穴と残されていた柱根
SB4では、地中に建物の柱が腐らずに残されていました。建物の柱穴の写真と残されていた柱根を示します。
SB-4柱穴 SB-4柱根
伊勢遺跡SB-4の柱穴(左)と残されていてた柱根(右) (守山市発掘調査報告書より作成)
柱は全てヒノキで、直径は30cm〜40cmの太い材木であったと推定されます。
特徴的なことは「心柱」が存在することです。
心柱は20cmとやや細く、柱穴も浅いものでした。 この心柱が床あるいは棟まで届き支えていたのかは判りません。伊勢神宮の神殿も心柱がありますが、床には届いていないようです。この点でも、伊勢遺跡の祭殿との関連が興味深い点です。
SB12の構造
SB12は他の独立棟持柱建物と違って、柱構成が6間×1間で、桁が1間多くなり面積も広くなっています。多くなっている1間分は柱間隔も狭く、その部分は「露台(テラス)」と考えられています。
SB12でも、SB4と同じく、心柱跡がありました。
この心柱は、円周上の独立棟持柱建物全てに存在することが分かっています。近江の他の独立棟持柱建物では見られぬ特異な存在です。

【円周上配列の建物群復元想像図】

円周上建物復元想像図 
円周上建物復元想像図 
(CG:小谷正澄)
円周上配列の建物群(SB-7、8、9、12)を復元したCG図を示します。柱穴の数や位置、形状、穴底の様子、地面に切った溝などから構造を推測しています。地上部分は遺物として残されていないので、銅鐸や土器、家屋文鏡に描かれた建物の形状を参考にしています。
右からSB-7、左隣りのSB-8の間に、ちょうど1棟分のスペースがあります。ここは現在の生活道路となっているため発掘調査が行えません。道路の下に新たな遺構が眠っているかも知れません。

【円周上から外れているSB6】

他の建物と同時期にありながら、円周上から少し外れているSB6があります。
   柱構造:屋内棟持柱建物  3×1間  6.3×5.4m  38u
他の建物と構造も違っていて、建物の向きも円の中央に向いていません。「構造、位置、向き」ともに他の建物の規則性にそっぽを向いている様相です。
面白いことに、位置が大きくずれているのではなく、チョットずれている、とういう感じです。
「屋外棟持柱」を「屋内棟持柱」に変え、中央を向かずに45度そっぽ向く。
位置については、後ほど説明しますが、円周上の建物位置はB6のすぐ横に想定(計算上)されており、そこから少し外側にずれています。正規の位置を意識しながら、少し横にずらした感じです。
SB6建物跡図
SB6建物跡図
栗東市発掘調査報告書より作成
伊勢遺跡 SB6復元想像図

SB6復元想像図
(CG:小谷正澄)
伊勢遺跡 SB-6屋内棟持柱建物」


【補足:円周のあてはめ】

円周の計算 
当てはめる円周の計算 
1)北東部へ正円のあてはめ
@建物の間隔(L)
SB8〜SB12建物の中心間の間隔は 30〜31m
SB7〜SB8 の間隔は 76m 間に1棟分が
      あったとすると、 間隔は28m
A建物の角度(α)
建物の長軸がなす角度は 14度〜16度
B円周の大きさの計算
2点間の間隔@とその接線がなす角度Aから 半径を計算出ます。
間隔を 30m  角度を 15度とすると
円周の半径は 約113mになります。 
2)南西部へ正円の当てはめ(SB4、SB5)
  @建物間隔  30m
  A長軸の角度 11.5度
  B円周の半径 149m(計算結果)
軸角度が北東部の建物群より少し小さいため、推定される円周の半径は大きくなります。
3)建物全体への円周あてはめ
伊勢遺跡建物跡 正円当てはめ
独立棟持柱建物が円弧を描いているのは目視でも分かりますが、厳密に計算すると、2つの円周上に存在することになります。

伊勢遺跡建物跡 正円当てはめ
(作図:田口一宏)

4)楕円の当てはめ
上項で2点間の距離、長軸のなす角度を使いましたが、実は長年かかって発掘し積み上げてきた実測データを合成しています。
建築時の元々の誤差に加え、発掘時の測定データの誤差、図面化するときの誤差、報告書に記載するときの誤差、合成するときの誤差、報告書からの読み取り時の誤差などがあります。同じ建物の図面でも報告書によってズレが起きていることもあります。
伊勢遺跡建物跡 楕円の当てはめ
したがって数学上の正円を当てはめるのは違っていると考えます。
「まあ、そこそこ円周上に乗るように円を描いてみる」ことにした結果を使って本文に記述しています。

 楕円を当てはめた結果
楕円形状
 長軸:230m
 短軸:210m


伊勢遺跡建物跡 楕円の当てはめ
(作図:田口一宏)
方形区画に配置された大型建物
円周配列された建物群の内部に二重の柵で区切られた方形区画があります。
二重柱構造(楼観)のSB10をほぼ中心にして、西側に祭祀空間と考えられる方形区画とその内部にはL字形に配列された建物群があります。SB1は伊勢遺跡で最大の掘立柱建物で、横にSB2、その南側にSB3、その前方に小型のSB(4)があります。

【柵で囲われた方形区画に整然と配列された建物】

床面積86uの大型建物SB-1を中心に、3棟の棟持柱をもつ建物が西側に配列されています。
方形区画に配置された大型建物 建物の形式と推定される用途
・SB-1 主殿 2間×4間 86u
  総柱高床式建物
・SB-2 副屋 1間×5間 57u
  平地式近接棟持柱建物
・SB-3 祭殿 1間×3間 49u
  近接棟持柱建物
・SB(4)倉庫 1間×2間 17u
  独立棟持柱建物

方形区画に配置された大型建物
(出典:守山市発掘調査報告書より作成)

SB-1の西側には、床面積57uの大型建物SB-2がありますが、柱穴の状況から高床式ではなく、平地式の建物と推測されます。 SB-2の南側には、近接棟持ち柱付きの建物SB-3が見つかっており、出雲にある神魂神社の建物構造(大社造り)によく似ています。
さらにその南側には、小規模ながら棟持柱建物SB(4)があり、祭殿に付属する倉庫ではないかとみています。
このように、南面する前庭を囲むように建物が配置されており、後の豪族居館や都城中心部の構成につながるものと考えられ、政治やまつりを執り行う中枢施設と考えられます。
この発見により近畿地方で初めて、方形区画の中に大型建物を整然と配列した特殊な施設が存在することが判明し、学術的にも重要な遺跡です。

【超大型総柱建物SB1(主殿)】

これらの建物の柱穴は長径2m〜2.7m,短径約0.8mの長楕円形をしており、深さは1.2〜1.4mにおよぶ大きなものです。柱穴の断面形状は長い斜路となっており、柱穴底の規模形状からみて直径50cmを越える大きくて長い柱が使用されていたと推測されます。柱根は残存しておらず、地山ブロックが多量に混じっており、抜かれた後、埋めもどされたと考えられています。
伊勢遺跡 SB-1(主殿)柱穴
伊勢遺跡 SB-1柱穴
(写真:守山市教育委員会)
SB-1 柱穴

SB-1(主殿) 平面図
守山市発掘調査報告書より作成

【その他の建物】

@大型平地式近接棟持柱建物 SB2(副屋)
SB-1の西側には、床面積57uの大型建物SB-2がありますが、柱穴の状況から高床式ではなく、平地式の建物と推測されます。 心柱を持っているのがユニークな点です。
平地式近接棟持柱建物 SB2(副屋)

平地式近接棟持柱建物
  SB2(副屋)
近接棟持柱建物 SB3(祭殿)
近接棟持柱建物 SB3(祭殿)
小型独立棟持柱建物 SB(4)(小型倉庫)

小型独立棟持柱建物
 SB(4)(小型倉庫)
方形区画のその他の建物 (守山市発掘調査報告書より作成)
A大型近接棟持柱建物 SB3(祭殿)
SB-2の南側には、床面積49uの大型近接棟持柱の建物SB3が見つかっており、出雲にある神魂神社の建物構造(大社造り)によく似ています。
心柱に相当する場所は、現在の溝があり、有無は分かっていません。
B小型独立棟持柱建物 SB(4)(小型倉庫)
梁からしっかり離れた位置に独立棟持柱を持つ床面積17uの小さな建物です。 小型倉庫と推定されますが、祭祀域にあるためでしょう、独立棟持柱を備え、さらに心柱を持っています。心柱を持っている意味合いを読み解くヒントになりそうです。

【方形区画の大型建物復元想像図】

方形区画の大型建物
方形区画と建物群を復元したCG図を示します。これまでに述べたような柱穴の数や位置、形状、穴底の様子、地面に切った溝などから構造を推測しています。
地上部分は遺物として残されていないので、銅鐸や土器、家屋文鏡に描かれた建物の形状を参考にしています。

方形区画の大型建物の復元想像図
(CG:小谷正澄)

【二重柱構造の大型建物 SB10(楼観)】

二重の内柱を持つ高層の建物
方形区画内のSB−1の東方30mの地点で、3間×3間(9mX9m)床面積81uの大型建物SB-10が見つかりました。柱穴距離は約3mで、総柱式建物と考えられます。この建物は、正しく各辺が東西南北を向いて建てられており、柱穴は円形及び楕円形で直径80cmから120cmもあります。この3間×3間に対応する総柱16本に加え、中央部には二重の内柱があります。 太い柱を二重に立てているのは、高層の建物を造営するためでしょう。この建物構造からSB10は楼観(高殿、物見櫓)と考えられます。
SB-10楼観 平面図
B-10楼観 平面図
(守山市発掘調査報告書より作成)
SB-10楼観
SB-10楼観復元想像図
(CG:小谷正澄)
伊勢遺跡 SB-10(楼観) の平面図と復元想像図

魏志倭人伝の卑弥呼の居所に似た建物群
佐賀県吉野ヶ里遺跡でも二重の環濠で囲われた区画に3間×3間で、平面形が正方形の大型の総柱建物が発見されています。この建物は主祭殿とされており、環濠のコーナーには1間×2間の掘建柱建物が物見櫓として建っています。生活空間となる建物群もあります。
これらは、魏志倭人伝に書かれている卑弥呼の居所と構成が似ており、「ここが卑弥呼の住まいか?」と見做す向きもあります。
伊勢遺跡の方形区画の建物群、楼観も、吉野ヶ里遺跡と類似の建物構成になっています。
伊勢遺跡の時代は卑弥呼誕生前夜であり、卑弥呼の居所というより近江の「オウ」あるいはもっと広域連合体の「オウ」がいた所でしょう。
棟持柱付き大型竪穴建物
円周上に大型建物が配置された外側の地点で、超大型の竪穴建物が発見されました。その規模は、方形竪穴建物としては、弥生時代後期では国内最大級です。
また、当時としては、最先端の建築技術が使われていました。

【超大型の棟持柱を持つ方形竪穴建物】

円周上の大型建物の外側直ぐ近くに一辺13.6mの超大型竪穴建物が発見されました。床面積は185uもあります。円周上の大型建物の実に4倍の床面積を持っています。
柱穴配置から、屋内に棟持ち柱を持つ特異な上屋構造を持つ建物でした。
棟持柱付き大型竪穴建物
棟持柱付き大型竪穴建物
(写真:守山市教育委員会)
復元矢印
棟持柱付き大型竪穴建物復元想像図

棟持柱付き大型竪穴建物復元想像図
 (CG:小谷正澄)
超大型の棟持柱を持つ方形竪穴建物

【中国伝来の先端の建築技術?】

精緻な粘土の焼床(やきどこ)
大型竪穴建物 焼床
大型竪穴建物の焼床
(写真:守山市教育委員会)
この建物は規模の大きさだけでなく、使われている建築技術も国内では他に例を見ない先進的なものでした。
この建物の床は約30cmの土をきれいな粘土に入れ替え、叩きしめています。さらに精良な粘土を8cm張ったうえで、表面が赤く発色するほど焼いて仕上げていました。使われている上質の粘土は、この近辺で取れるものではなく、わざわざ取り寄せたもののようです。
このような建築技術は例がなく、しいて類例を挙げれば中国や朝鮮半島の竪穴住居の床や壁に用いられた「紅焼土(こうしょうど)」と呼ばれる建築技術に似ています。当時の朝鮮半島には、壁や床を意図的に焼くものがあり、伊勢遺跡の大型竪穴建物は東アジアの建築技術の流れを汲む可能性があります。
日本最古の焼レンガ
大型竪穴建物 焼きレンガ
大型竪穴建物の焼きレンガ
(写真:守山市教育委員会)
この建物の四周の壁には粘土を焼き固めた古代のレンガである「せん」(大きさ40cm×30cm、厚さ8〜13cm)が並べてありました。中国では漢代に宮殿建築に「せん」と呼ばれるレンガが使われていましたが、韓国を経由してレンガの製造技術が伝わってきた可能性があります。
これまで日本では、8世紀に奈良の寺院で焼レンガが初めて使われたと言われており、伊勢遺跡のレンガはこれをはるかにさかのぼるものとなります。

【想像される建物構造】

前述した「家屋文鏡」にも大型竪穴建物が描かれています。また、屋内棟持ち柱建物は、継体天皇陵とされる今城塚古墳で発見された家形埴輪にも見られます。これらの形状より建物構造が推定できます。
壁際には壁用の木材を差し込むための溝が巡らせてあり、板材を固定するための柱穴が等間隔に設けてあります。柱は10〜20cmの木材が使われています。
壁際からは、幅約30cmの炭化した板材が多数出ています。 焼レンガは、板材と溝の間に建てられていたようです。
大型竪穴建物の構造
大型竪穴建物の構造 (イラスト:中井純子)

【何のための建物?】

中国に源流のある建築技術が用いられている、当時としては超大型の竪穴建物であり、一般住居ではなく、特別な建物であることには違いがありません。
床は約30cmの粘土で固め、さらに精良な粘土を8cmの焼土で覆い、壁には焼レンガという、防湿を高度に考慮した建物構造から、銅鐸や銅製品、あるいは鉄製品などの製造工房ではないかという見方がありました。しかし、金属製品は出ていません。それで、埋土に微量の金属片や微粒子が含まれていないか、土の洗浄や科学
分析をしました。しかし、金属工房の証となるデータは得られませんでした。 発掘時、焼土の上から鉢や壷などの生活土器が同時に出ることから、この建物は家屋文鏡にみる首長の居所、あるいは饗応の祭りを行う「大屋」のような特殊な施設とみられます。広い空間から考えると、共同体の権力者たちが集まって儀式をする場所や今でいう迎賓館のような建物であったかも知れません。
伊勢遺跡全体の復元想像図

【建物配置には規則性がある】

伊勢遺跡物で発見された大型建物は、配置の規則性を持って建てられています。この規則性を展開することにより、まだ発見されていない建物の位置を推測できる可能性があります。
推定される建物群と実際に発掘して判ったことを対比してみます。
方形区画の建物の配列規則
宮殿、祭殿などの配置は、中国の様式に習って、一直線上や対称的に配置されることがあります。伊勢遺跡の方形区画内の建物は、発見されたものはL字形配置になっていますが、
 ・主殿を中心軸にして対称配列されていた
と考えられます。
円周上配列の建物の配列規則
円周上配列の祭殿群も、見つかっている建物群の配置を見ると、ほぼ一定間隔で中心に向けて建てられていることが判ります。
建物位置の推定のために設定した配列規則は
・長径230m、短径210mの楕円上に配列されている
・建物の心柱(一部は推定)間隔は30mと想定する(図面上では28m〜31m)
  (実際には、発見されている建物位置を基準として合うように補正する)
・建物壁面が中心に向くように、建物間の軸線が16度ずれる
  (SB-7〜SB-12は、図面上では、平均で16度ずれている)

【方形区画の建物推定】

推定される建物配列は図の通りです。この位置は後世の大きな川が流れた痕跡があり、建物があったとしても川によって流されています。
方形区画内建物配置の推定
方形区画内建物配置の推定
(イラスト:田口一宏)
方形区画内建物の復元想像図

方形区画内建物の復元想像図
(CG:大上直樹)
伊勢遺跡 方形区画の建物の推定復元

【円周上配列の建物の推定】

楕円形の円周上を上記規則で割り振っていくと、円周上に23か所のポイントが生じます。
そのうち6か所には独立棟持柱建物が見つかっている箇所です。
・南側にあたる5か所では、「発掘したけれども存在せず」が4か所、未発掘が1か所
・東側のうち1か所は生活道路の下で発掘不可、
 1か所は発掘したが後世の大きな川跡(建物があったとしても破壊?)
・北側のSB12横では小面積の発掘で大きな穴を発見も隣接地は未発掘
・西側のほとんどは未発掘、1か所は生活道路下で発掘不可
円周上配列の建物の推定
円周配列の建物推定位置
(守山市発掘調査報告書より作成)
:発見されている建物の位置
:推定される建物の位置

未発掘の個所がまだ多いのですが、残念ながら円周上に必ずしも建物があったわけではありません。
先ほども述べたように、SB6は想定されるポイントから、建物の大きさの分だけ外側にずれています。
 (異なる形態の祭殿であり、意図的に位置をずらしたのか?)
伊勢遺跡建物の全景推定
伊勢遺跡建物の全景推定
伊勢遺跡建物の全景推定  (CG:小谷正澄)

mae top tugi