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 近江の独立棟持柱建物は祭殿か
当NPOのホームページでは、伊勢遺跡や下鈎遺跡で見つかった独立棟持柱建物は「祭殿」であると記述してきました。
考古学の世界では、独立棟持柱建物を「祭殿」と呼ぶことを提案した学者がいる一方で、反論、異論もあります。
近江の独立棟持柱建物のデータを詳細に調べ、はたして「祭殿」と見做せるのか検討しました。
記載している項目
独立棟持柱建物に関しては、建築史の専門家である宮本長二郎さんが切妻方式で破風を伸ばした神社と思える復元案を提示し、広く用いられています。
この説に対し、考古学的、歴史学的な観点からの批判も出されています。
このホームページでは守山市教育委員会や指導、助言を頂いている考古学者の考え方に準拠して「祭殿」という使い方をしています。
そのように教えられ、自分で調べて確信しているのですが、建物の構造だけではなく、集落内での建物の位置、区画の有無、付帯設備との関係、祭祀用出土物などを検討要素として検討整理し、まとめました。
独立棟持柱建物の性格を普遍的に論じるのは難しく、「近江の独立棟持柱建物」に限って、分析検討しています。
近江に限ってみると、
・大型の独立棟持柱建物の棟数が多い(伊勢遺跡)
・建物配列が整然と並んでいる、それも特異な円と方形の組み合わせ
・祭祀空間だけで成り立っている(集落内でのあり方とは無関係)
・心柱を有している(伊勢神宮の建物に通じる)

など、特異なことだらけで、これまでの諸氏による祭殿論議を超えているように思えます。

最初に祭殿論議の経緯をまとめたのち、近江の個々の遺跡の独立棟持柱建物の詳細を述べ、どのような祭祀を行っていたのか推測しています。
詳細は「野洲川下流域の弥生遺跡」ホームページの「意見の広場」に書いています。

こちらからご覧ください  ⇒  近江の独立棟持柱建物は祭殿か?

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